人は何のために人生を生きていくのか

人生って何のためにあるのでしょうか

人って何のために生きているのでしょうか

私は性格的にと言いますか、割とこういう哲学的なことを考えることが多く、若いころからそういうことを考えてはよく心の闇に落ちていました笑

そういう、考えても基本的には答えが出ないことに対して問いを立てては、あぁでもない、こうでもないと考えて答えを求めることを、ずっと続けてきた感じなのかなと

バドミントンでも結局同じですよね

例えばですが「どうすれば速いスマッシュを打てるのだろう?」という難しい問いを立てて、それに対してあぁでもないこうでもないと仮説検証を意識的にしろ無意識的にしろ積み重ねていく

その結果として生まれた様々な答えが、ブログやSNSなどで発信している情報やノウハウであり、バドミントンに限らずあらゆる面においてこういう姿勢を持ち続けることは、私の性格と言うか性質みたいなものかもしれません

哲学的と言うと大げさですが、実を言うと「哲」という字が自分の名前に入っているんですよね

名は体を表すというのも格好つけすぎですが、案外間違っていないのかもしれません

はい、と言う感じで冒頭の議題に戻したいと思います

人生は何のためにあるのか、人は何のために生きるのか

結論から言いますと、私は

「魂レベルでより良い存在になるため」

「魂を磨くため」

だと考えてます

はい、あやしさMAXですね笑

ペヤング背脂MAXもびっくりです

根拠ですよね、ないんです笑

ただ、まぁ私まだまだ若造で偉そうなこと言えない年齢ではあるのですが、これまで10年、20年ぐらいずーっと考えてきて、まぁ断続的ではあるのですが、その結果辿り着いた答えとして、こういう考え方になって、それがここ数年しっくりきているので、正しいんじゃないかなぁ、と感覚的な感じです、申し訳ないのですが

ちなみにですが、私は何教に入信しているわけでもありません

ただ、神様は信じています

神様と言うとまた定義が難しいですが、何と言いますか、偉い人って感じでしょうか笑笑

絶対的な存在って、あると思うんですよね

と言うか、そう思うことで色々なことが納得できると言うか

魂を磨くと言いましたが、この魂を磨くことで、この神と言う、もしかしたら違う言い方があるのかもしれませんが、ある種の絶対的な存在に近づいていくのだと思っています

つまり、魂を磨くことで、神様に少しでも近づこう、っていうのが人生の目的なのではないかっていうことですかね

もしかしたら、一つの神になるために人は人生を生きているのかもしれません(多神教と言うか、神と言うのは複数、多数存在しているという前提になっていますが)

どうすれば魂を磨くことが出来るのか

で、人生の目的が魂を磨き、神と言う存在に近づいていくこと、あるいは一つの神になるということだしたら、どうすれば魂を磨くことが出来るのかということが、次の段階として考えることですよね

これもまた個人的に考えてきた結果としての持論になるのですが、魂を磨く手段は「学び」と「苦しみ」だと思っています

学びと言うのは、例えば何を通してでもいいのですが、「誰かのためになることをやることが大事なんだ」みたいな気づきを得ることが出来れば、それだけで自分の魂のレベルが上がるという感じです

苦しみと言うのは、これまた何を通しての苦しみであってもいいのですが、人生において、生きていれば様々な困難や苦難に遭うことがあり、その時は苦しくて苦しくて、自らの命を絶ってしまいたいような思いをすることもあると思うのですが、そういう時に自らの魂と言うのは磨かれているのではないかと言うのが持論です

よく「若い時の苦労は買ってでもしろ」みたいな言葉がありますが、これは若い時にしろ、ある程度年齢を重ねてからにしろ同じことだと思うのですが、苦労することは、魂を磨くことに繋がるのではないかと思っています

まぁ、出来れば苦労なんてしたくないのですがね(苦笑

学びや苦しみを重ねるにはどうすればいいのか

出来れば前向きに学びや苦しみを重ねたいものです、出来ればそういう大変な思いはしたくないのですが苦笑

個人的に、出来るだけそういう大変な思いを前向きにする方法としては、大なり小なり自分の使命を全うすることだと思っています

使命というと言葉が大げさだと思いますが、別に世の中を救うようなヒーローになれと言っているのではありません

世の中と言う広い範囲に限らず、職場であっても、趣味の集まりであっても、過程であっても、何かしらの役割というのが自分にはあると思います

使命と言うのは、何かしらの役割であるというのが私の考えなのですが、このような様々な場面における自分の役割を頑張って果たそうとする、それが使命を全うすることに繋がっていくのではないかと考えています

そういう意味においては、どんなことでもいいので与えられた自分の役割、あるいは自分で見出した役割を果たそうとすること、その中で様々な困難や課題に直面すると思うのですが、そういう壁から逃げずに格闘し、日々乗り越えようとする中で様々な学びを得ることが出来るし、そして苦しみも同時に享受することになる訳ですから、そのようなプロセスを経て魂というのは磨かれているのではないか、というのが私の考えです

役割という言葉が少し難しくしている感じがありますが、目標や理想と言う言葉に置き換えてもいいかもしれません

一応このブログはバドミントンの情報を発信しているブログですが、なのでバドミントンで何かの大会で優勝することを目指す、そういうものでもいいと思います

目標と現状と言うのはその間に常にギャップが存在します

そのギャップを埋める努力をする中に学びや苦しみがあるのだと思います

そのため自分が理想としている目標などから逃げずに向き合い続け、時に諦めそうになりながらも、果敢に向かっていくその姿勢こそが、魂を磨くことに繋がるのではないかと思います

まとめ

今回はかなり胡散臭い話になってしまいましたが、個人的にはこういう話がかなり好きです

スピリチュアルと言うのでしょうか

繰り返しになりますが、私は何教に入信している訳でもありませんし、これから入るつもりもありませんが、哲学的な議題を追求すると、こういうスピリチュアルな思想に辿り着くことも多いのかもしれません

まぁ、割と壮大な話をしてしまい、肝心の自分はちゃんと出来ているのかと言われたらまだまだ未熟だとは思うのですが、少しでも良い人間、存在になれるように日々努力を重ねていきたいと思います

そういう人が少しでも増えれば、世の中は傲慢な言い方をすれば人間の集合体ですから、世の中少しでもいい方向に変わるのではないでしょうか

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