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野田クリスタルの経歴や2冠達成までの道のりについて!

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まずは野田さんの出身地ですが神奈川県横浜市南区六ツ川出身で三人兄弟の末っ子として誕生しました。

父親と兄の2人は公務員でとても堅実な家庭だったようです。

六つ川台小学校→六つ川台中学校卒業を卒業しており、小中学校時代から明るい性格で暮らすの人気者だったそうです。

中学校時代からは掲示板サイトに小説を投稿したり、オンライゲームに没頭していたらしく、今の芸風に繋がっているのかもしれません。

松本人志の影響を強く受けている野田さん、著作である『遺書』を愛読するほどで高校生時代からはネタ作りをするようになります。

高校は神奈川県立六ツ川高等学校に入学しており、当時同級生であった友達と共にセールスコントという終わりコンビを結成していました。

主にインディーズの劇場で活動をしており、当時大人気出会ったテレビ番組の「学校へ行こう」のお笑いインターハイで優勝するなど当時からその才能を発揮させていました。

その後、相方がお笑いを目指さない等の理由からコンビを解散するとピン芸人として活動を始めます。

インターネットの相方募集サイトで新たな相方を得てコンビを結成し、吉本のオーディションに合格し東京吉本に所属することになります。

しかし、相方が先生になりたいと言う理由からまたもコンビを解散することになります。

その後、別の相方を得た野田はアンビシャスというコンビを結成しますが相方が失踪してしまい、解散することになります。

高校卒業後は地下ライブでお笑い活動を続けながら、7年間郵便局でアルバイトをしていました。

様々な影響を受けた野田はオールバックにブリーフで笑いを取るピン芸人「野田クリステル」としての活動を開始します。

ピン芸人時代は体を張って受けを狙う芸風だったようです。

東京の地下芸人と中を深めることで、野田は客が笑わないお笑いへと進んでいました。

そんな中で、法政大学のお笑いサークルに所属していた村上に出会います。

以前、野田のライブを見ていた村上はその才能にほれ込み、村上に誘われる形でマジカルラブリーを結成します。

その後数年は不遇の時代を過ごしますが、2020年のR1グランプリを優勝、その後M-1グランプリを優勝し、霜降り明星の粗品依頼のM-1・R-1の二冠を達成します。

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