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「躁鬱大学」の感想レビュー!

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坂口恭平著「躁鬱大学」の存在を知ったのは著者ご本人のTwitterがきっかけだった。

著者は双極性障害であり、わたしもまた同じ障害を持っている。

著書の中では「躁鬱病」と呼ばれ、その傾向を持つ人を「躁鬱人」と呼んでいることから、ここでもその表記を使おうと思う。

精神科医のつくった神田橋語録をもとに、著者が教授となる大学の講義を想定して文章が続いていく。

躁鬱は病気ではなく体質であること、という、今まで精神医療の現場で言われてきたことを覆す大前提に目から鱗が落ちた。

それとともに、体質だと捉えることで自分に重くのしかかっていた重圧から確かに解放されたのを感じた。

著者のユーモアあふれる語り口でどんどん「躁鬱人」の特徴について書き進められており、躁鬱人であるわたしは夢中になって読んだ。

あまりに自分のことを言い表されていて、大笑いしたりしながら、寝る時間も惜しくなるくらいかじりついていた。

躁鬱人であるわたしは、鬱に傾いていたりすると途端に本が読めなくなると思っていた。

しかし、著者は「知りたいことなら読める。読みたいことがあるなら読める」と書いていた。まったくその通りだった。

そのほかにも、躁鬱人は自分がない、相手の顔色をとてもよく見ていて、相手からの評価がそのまま自己評価になるところがある、ということが書かれており、「自分の意見が言えない、自己主張できない」ことをずっと欠点だと思っていたわたしが救われた。

さらに、神田橋語録によれば躁鬱人は「あっちふらふらこっちふらふらがよろしい」とのことで、同じことを黙々とやり続けることは、躁鬱人でない「非躁鬱人」の美徳であって、躁鬱人にはまったく向いていない、体質に合わないことである、との記述があった。

同じ仕事を続けられないとか、飽きっぽいとかいうところも、わたしは欠点だと思っていたので、この言葉にも大変救われた。

中でも心に染み込んで微笑んでしまうような、とても印象に残った言葉がある。

「あなたがこれを読んで自分のことのように感じる、というのが『言葉』ということだ」というような文章だ。

言葉とは人に伝えていくもの、そしてその人の中で生きるものなのだ、と、文章好きだったが忘れていたような視点を思い出させてくれた。

双極性障害の診断がされてなくても、この体質に近いものを持つ人はいると思うし、ひとつひとつの言葉に「息継ぎ」のような呼吸ができる人も多くいるのではないかと思う。

ぜひおすすめしたい一冊だった。

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