笹川友里のホステス疑惑や旦那について!笹川財団や経歴についても

勤めていたテレビ局を退社したあとの女性アナウンサーのキャリアは人それぞれですが、中には起業して自ら新しいビジネスを始める人もいますよね。

そのうちの1人が、元TBS社員の笹川友里さんです。

笹川友里さんは2021年3月に新会社の「setten」を立ち上げ、新しいキャリアを歩み始めています。

そこで笹川友里さんに関するさまざまな情報について深掘りします。

笹川友里さんの経歴について

笹川友里さんは、他の女性アナウンサーとは一味違う異色の経歴の持ち主です。

笹川友里さんの前職は民法放送局のTBSですが、そこで制作ADとアナウンサーの両方を経験しています。

同じテレビ局内での仕事とはいえ、制作ADとアナウンサーではイメージがまったく違いますよね。

制作ADは完全に裏方ですが、アナウンサーは表舞台に出るテレビ局の顔です。

その2つの仕事を両方とも経験しているのは、今後のビジネスにおいて笹川友里さんの大きな強みです。

両方の視点からビジネスと向き合えますので、ビジネスの幅が広がりますよね。

「そもそも制作ADからどうやってアナウンサーになったの?」と、疑問に思う方も多いでしょう。

笹川友里さんはもともとアナウンサー希望で入社試験を受けており、最終選考まで残っていました。

ですが惜しくもあと一歩のところで選に漏れ、その代わりに制作ADとして働くことになったのです。

希望していたアナウンサーになれずに裏方の制作ADになりましたが、笹川友里さんは腐ることなく目一杯楽しそうに働きました。

その1年後アナウンサー枠に空きができ、穴埋めすることになりました。

そこで目に留まったのが、もともとアナウンサー希望で最終選考まで残っていた笹川友里さんです。

制作ADという裏方の仕事でも腐らず楽しそうに働いていたため、アナウンサーにしてみてはどうかと目が留まったのです。

こうした経緯で、笹川友里さんはアナウンサーデビューを果たしました。

なかなかないパターンですよね。

ただその一方で、笹川友里さんの関連キーワードとしてホステスが挙がります。

この関連キーワードだけを見たら「ホステスとしても働いたことがあるの?」と思ってしまいますが、どうやらそうではないようです。

職歴は本人にしかわからないので絶対とはいえないものの、笹川友里さんにホステスとして働いてたという情報はありません。

ではなぜホステスが関連キーワードになるのかといえば、それは日本テレビのアナウンサーの笹崎里菜さんと間違えられているからのようです。

笹崎里菜さんといえば、ホステスを経験していたことが理由で一時は内定取り消しになったことが話題になりましたよね。

その後無事に日本テレビのアナウンサーとして入社を果たしましたが、この一件があって笹川友里さんもホステスをキーワードに世間から関心を集めてしまったようです。

笹川友里さんと笹崎里菜さんは、名前の中に同じ漢字が2つ入っています。

言ってしまえばただそれだけなのですが、字面だけ見ると確かに勘違いしてもおかしくありません。

民放の女性アナウンサーについてくわしい人なら間違えないかもしれません。

ですがたまたま同じような時期に入社していて名前も似ていることから、笹川友里さんは笹崎里菜さんと間違えられてしまったようですね。

少し調べればすぐわかることですが、2人を混同しないように気をつけましょう。

笹川友里さんと笹川財団に関連性はあるの?

公益財団法人の1つに、笹川平和財団がありますよね。

世間一般では笹川財団とよく呼ばれますが、この笹川財団と笹川友里さんに何か関係はあるのでしょうか。

笹川財団は故笹川良一氏の関連した財団ですが、名字が同じ笹川ですので笹川友里さんともつなげて考えやすいですよね。

ですが単に名字が同じという以外に、笹川友里さんと故笹川良一氏や笹川財団に関連する情報はみつかりませんでした。

笹川はそれなりにめずらしい名字ですが、だからといって関連していると安易に結びつけてはいけませんよね。

深く調べてみないと真相はわからないものの、笹川友里さんと笹川財団に関連性はないと考えるのが自然です。

笹川友里さんの旦那さんは誰?

笹川友里さんの旦那さんは、スポーツ競技フェンシングのメダリストの太田雄貴さんです。

2000年代後半から2010年代前半にかけてフェンシング界をリードしてきたアスリートですから、その名前を記憶している人は多いでしょう。

一時期はフェンシング選手の代名詞でしたし、オリンピックにも出場して見事にメダルを獲得しています。

笹川友里さんと太田雄貴さんは2017年に結婚し、その後娘さんが誕生しています。

ですので笹川友里さんは一児の母ということですね。

現在は2021年ですから、まだ結婚してからも子どもが生まれてからも、それほど年月が経っているわけではありません。

つまり家庭では主婦業をこなして子育てもおこない、さらに外ではバリバリ働いているということです。

旦那さんの太田雄貴さんも、笹川友里さんと同じようにアクティブに仕事をしています。

そのため家でゆっくり家族と過ごす機会は少なかったのですが、コロナ禍で状況が一変しました。

誰もが移動を控えるようになったコロナ禍の影響で、旦那さんの太田雄貴さんが長時間在宅するようになったのです。

それまで旦那さんが忙しく外を飛び回っていたため「結婚生活の中で家族の時間はそれほど取れないだろう」と、笹川友里さんは思っていたそうです。

ですがコロナ禍の影響で、家族の時間が多く取れるようになりました。

コロナ禍は誰にとっても辛く厳しいものですが「家族の時間が増えたことだけは良かった」と笹川友里さんはラジオの番組内で語っています。

笹川友里さんの今後の展望について

8年間勤めたTBSを退社した笹川友里さんは、会社名にもなっているsettenこと接点を大切にしたビジネスを展開していく見通しです。

接点とは人とのつながりや通じ合う心のことを指し、すでにそのコンセプトに沿ったいろいろなビジネスに着手しています。

接点を大事にして人に対して心地いいサービスを提供するのが、笹川友里さんの思い描いている衣ビジネスのビジョンです。

自らがパーソナリティを務めるラジオ番組の「笹川友里のDIGITAL LIFE」や「presents Meet Up」では、毎回ビジネスや経済に関係する旬なゲストを迎え、わかりやすくてためになる会話をリスナーに届けています。

これらのラジオ番組では、アナウンサーで培われた経験やスキルが存分に活きています。

前には出過ぎずあくまでゲストの考えや気持ちを引き出すトーク術は、リスナーにとって非常に心地いいものです。

またもともと雑誌「VERY」の愛読者だった笹川友里さんが、なんとその専属モデルになりました。

会社から独立したことで、今までできなかった仕事もするようになっています。

モデルの仕事はラジオ番組で誰かと話すのとはまったく違った魅力が引き出されますし、この仕事が接点となってモデルの仕事が増える可能性もありますよね。

ラジオパーソナリティにモデル業などいろいろな仕事をマルチにこなしている笹川友里さんの今後に期待しましょう。

まとめ

女性アナウンサーのセカンドキャリアはさまざまですが、笹川友里さんはいろいろある道の中から起業の道を選びました。

妻であり母でもある立場で起業していますから、大変だと感じることは当然多いでしょう。

ですが起業して生き生きと目を輝かせながら仕事をしていますから、現代で輝く女性の象徴的存在ですよね。

今後いったいどんなビジネスを展開するのか、楽しみながら見守りましょう。

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